平安時代からの「美人」の変化
平安時代から令和時代まで、どのような過程を経て美人の基準が変化してきたのでしょうか。時代ごとに確認していきましょう。
戦国時代の美人
長い平安時代が終わり、鎌倉幕府、次いで室町幕府が開かれると、世は戦国時代に入りました。貴族社会ではなく武家社会となり、平穏で控えめな恋愛は難しくなってきたのでしょう。
控えめで奥ゆかしい女性が美人とされていた平安時代とは正反対に、戦国時代は芯が通った強い女性、また活動的な女性が好まれたと言われています。
常に戦が絶えない時代は、守ってあげたくなるような控えめな女性よりも、強く凛として落ち着いている女性の方が、男性は安心感を得られたのかもしれませんね。
江戸時代の美人
「見返り美人図」という美人画を見たことがあるでしょうか。柳腰と言われる細くしなやかな腰をくねらせて振り返る女性の絵です。
江戸時代は260年ほど続き、前期・中期・後期と大きく分けて美の基準も少しずつ違うようですが、「黒髪」「白い肌」「おちょぼ口」「ふっくら」といった平安時代に近い美の基準があり、そこに「なで肩」「柳腰」など、体型や立ち姿の特徴も評価の対象となっていたそうです。
戦国時代のような殺伐とした時代を経て、世は平穏、癒しを求めていたのかもしれません。
さらに後期に入ると、前期まではなかった「長身」「シャープな顔立ち」「面長」などの特徴が入り、美の基準が大きく変わっていったと言われています。
明治~昭和時代の美人
大政奉還が行われ、武家社会が終わり、日本は文明開化の時代になりました。西洋の文化を取り入れ、洋装が普及したのです。着物と洋装では雰囲気がまったく異なり「洋装が似合う顔だちこそ美人」と変化していったようです。
世の女性たちは流行に敏感になり、流行を追い求める女性こそが美人であり洗練されていると思われたのだそう。
実際に明治時代の美人を写真で見ると、和風の雰囲気を残しながら、洋風の魅力も放っています。
その後昭和時代まで、長い年月をかけて洋装が完全に定着し、ヘアスタイルやファッションも自由に表現できるようになったため、「個性」で美しさを表現する女性が増えていきました。
平成~令和時代の美人
平成に入ると、平安時代では考えられなかったような「へそ出し」「ボディコン」などが流行するようになり、欧米人女性に負けじとメイクにこだわる女性が多くなりました。
整形メイクのような、もはや顔の原型がなくなっているようなメイクや、日焼けサロンで肌色を変えるなど、自分を当たり前に主張できる時代になったのです。
欧米人のような大きな目、高い鼻、小顔、厚めの唇に憧れ、「目力メイク」「凹凸をつけるシャドウやハイライト」「リップグロス」などが飛ぶように売れ、美の基準もグローバル化していますね。
現代の美の基準は、ほとんどが「外見の美しさ」になってしまっていると感じる人も多くいるでしょう。
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