僻みっぽくなった原因とは?
なぜ僻みっぽい人はそういった性格や価値観に染まってしまったのか…僻みっぽくなった原因の中でも特に多い理由をいくつか紹介していきます。
甘やかされて育った
幼少期から甘やかされて育った人は僻みっぽい人になる傾向が強いと言われています。小さい頃から自分が一番、自分が正しいと認められ、甘やかされて育ったため、いざ大人になって自分が認められない現実を目の当たりにした時、その現実から目をそらしたくなってしまうのです。
たとえば小さい頃から何でも言うことを聞いてもらっていた人が、大人になって自分の意見や願望が通らない現実に直面したとしましょう。小さい頃から常に甘やかされ肯定されてきた人からしてみれば、自分が認められないという現実は許しがたく、信じたくないものですよね。
結果的に「きっとあいつは何かズルをしたに違いない」と思うことで心の平穏を保ったり、「自分なんかの意見よりもすごいよ」と相手を素直に褒めずに罪悪感を与えるような物言いをしたりして、自分が認められなかった現実から目をそらそうとします。
裏切られた事がある
過去に裏切られた事があると、僻みっぽい性格になりやすいのも事実でしょう。もともと僻みっぽくない人だったとしても、過去に裏切られて激しく傷ついたことがあると、徐々に僻みっぽい性格が出てきてしまうのです。
たとえば過去に「あなたの意見が一番よ!」と褒め称えられたにもかかわらず、結局選ばれたのが別の意見だったりすると、裏切られた気持ちになりますよね。もともとプライドが高かったり、他人をどこかで見下していたりすれば、プライドはズタボロになってしまいます。
そういったことがあると、相手の言葉を信じるのが難しくなり、つい相手を皮肉ったり、僻みを言ったりしてしまうのです。そうでもしないとプライドがボロボロになってしまうため、自ら自分を卑下したり、相手を僻んだりしないとやってられないのでしょう。
努力が認められないことが多かった
努力が認められないことが多いと、自然と僻みっぽい性格になっていきます。どうせ努力をしても、頑張ったとしても自分は認められることがない…そんなことが度重なっていけば、「どうせ自分なんて」と言ってしまうのも頷けますよね。
しかし心理的には「自分は他よりも優れている」「他人よりも認められたい」と人一倍思っているのも事実。そのため、努力が認められず他人が認められているのを見ると、「どうせ自分なんてあなたよりも劣っているから」などと僻みを言ってしまいたくなるのです。
プライドが高すぎる
プライドが高すぎる人は、周りよりも自分は優れている、優位に立ちたいという心理が強いです。他人を認めることが苦手であり、自分が認められることが当然であるという価値観も持っているため、現実でそれが叶わないと、その現実から目をそらそうとしてしまいます。
その結果、相手に対して「○○さんは自分と違っていいですね」など僻みや嫌味を言ってしまうのです。そう言えば相手は素直に自分の成功を喜べなくなりますし、自分自身も心から相手の成功を祝福していないということを遠回しに伝えることができますよね。
プライドが高く負けず嫌いなため、相手の成功に対しては僻み、毒づいてしまうのでしょう。
見下されることが多かった
過去に見下されることが多いと、「自分が見下す側になってやる」という気持ちになることも珍しくはないでしょう。
何かと自分のことを下げられ周りを上げられてきたことがあると、自然とひねくれた性格になっていくものです。他人を簡単に信じることができなくなり、過去の悔しさから「見下されないように自分が見下す立場でいよう」という気持ちになってしまいます。
また、そういった過去があると、周りの成功に対して素直に向き合うことができなくなるものです。実際には相手から見下されていなくても、自分は成功していなくて相手が成功していれば、気持ち的に相手から見下されているような感覚に陥ってしまうのでしょう。
結果的に「どうせ自分なんて○○なんで」と卑下して、相手に罪悪感や不快な気持ちを与えようとします。相手を認めれば自分のポジションが下になるという考えが強いため、素直に相手を認めることができないのです。
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